鳴海クリニック <消化器内科・内科・外科・皮膚科>

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皮膚科医として、この道50有余年
NO.150 2006/6/16

§皮膚科医として私が歩いてきた道 

 皮膚科医になって既に50年が過ぎましたが、2006年1月1日、わたしは丁度傘寿を迎えました。
 昭和26年(1951年)九大卒業後東京逓信病院にてインターン終了、そのまま同病院皮膚科に勤務することになり、当時新進気鋭な恩師小堀辰治先生のご指導を受けることになりました。
 入局と同時に当時としては日本でいち早く副腎皮質ホルモン療法の研究に着手した共同研究者の一員となり、一方、アメリカで発展した新しい軟膏療法の手ほどきを受けました。そして、「副腎皮質ホルモンの円形脱毛症に対する治療効果、特にその奏効機序について」を主論文に審査をうけ、1959年東京大学より学位を授与されたことは、わたしの生涯で忘れることのできない幸せなことの一つでした。
 ついで1960年、群馬大学医学部助教授として赴任、山碕教授より記載皮膚科学の原点に触れたドイツ流の厳しいご指導を受けました。この北関東における研究生活3年間の様々な体験と、前任地である東京逓信病院での8年間のいわばアメリカ流の自由な研究体験がミックスされて、今日の自分があるということを、今更ながら感謝しています。
 昭和38年(1963年)9月、群馬大学を辞した後、同年10月より昭和43年(1968年)
12月までの東京新橋における5年間の開業生活は、全国理美容ネットワークにのった特殊な体験でしたが、父の度重なる脳梗塞の発作のために遂に故郷別府に帰って開業することになりました[診療所開設は昭和43年(1968年)12月24日、翌44年(1969年1月13日より診療開始]。
 開業以来、地域医療の第一線で多くの患者さんに接し、皮膚に関する啓蒙と、幅広い皮膚科医療で地域社会に密着することを夢見てこれまでやってきましたが、この間、別府市医師会理事を3期6年、大分県医師会常任理事を3期6年、別府市医師会監事を2期4年務め、わたしとしてはまたとない経験を重ねることができました。
 また、皮膚科開業医は如何にあるべきかということについて、学会シンポジウムその他で意見を述べてきましたが、とくに皮膚科の専門性を生かして包括医療をきめ細かく行ない、地域に密着することを大切にして来ました。
 この間、平成8年(1996年)6月には日本皮膚科学会功労会員となりました。


§皮膚科診療に対するわたしの考え方 

 上述のように、皮膚科医として50年以上、郷里別府に帰って開業37年が過ぎました。またロータリー・クラブに入会して35年が過ぎました。
 この35年にわたるロータリーの体験は、更に皮膚科医としての職業奉仕に磨きをかけながら現在に及んでいます。 
 私の職業奉仕は、『常に大所高所より、あくまでも患者さんのために』にあります。
 安易に患者さんの要求に応ずることのみが医師の職業奉仕ではないと思います。
 患者さんのために、常に新しい夢をもち、現時点において最善の治療が提供できるよう、研鑚を怠らないことであります。
 また、医師の倫理と患者の倫理が共に全うされ、はじめて真の医療が行われるわけでして、このような点から健康教育活動が大切と思う次第であります。
 これからの医療は、病気や薬、治し方についての説明をよくすることはもとより、患者さんが自分の病気に対する自覚と、病気を早く治そうという気構えをもって貰うことが大切で、これと平行して病気にならないよう、日頃からの健康教育が何としても必要と思いますし、これが患者さんの為に一番いいのではないかと思う次第であります。
 こうなると、医師の職業奉仕は更に大切で、一層幅のあるものになってくるわけであります。
 このようなことで、皮膚科の専門性を生かした包括医療をきめ細かく行ない、常に地域に密着することを考えて来ました。
 そして、皮膚科医は単に皮膚のみならず、場合によっては皮膚を通して人間全体を考え、更には、まわりの環境をも念頭におく必要があることを考えてきました。
 とくに私たち開業医は、地域医療の第一線にあって多くのありふれた皮膚病患者に接するわけですから、これと積極的に取り組み、上手に治せる医師でなくてはなりません。 
 そのためには、皮膚症状並びにその治療経過を細かくみることは勿論ですが、その原因なり、それを治りにくくしている背景を探るため、必要な諸検査を行い、この検査所見を参考にして皮膚症状を診、それに合わせた治療法を選び、治療経過を診なければなりません。とくにアレルギー性皮膚疾患の場合にあっては、アレルギーに対する処置は勿論ですが、場合によっては神経、とくに自律神経ならびに内分泌の影響をも考え、言わば三位一体の概念に基づいた治療が必要と思う次第です。



§私の皮膚科医としてのルーツ

 以上、皮膚科医として歩いてきた道、皮膚科診療に対するわたしの考え方について述べましたが、わたしは自分の性格から、世間では厳しい医者として通っています。 なぜこのようになったのか、そのルーツを探ってみますと、以下述べるようなことが考えられます。

※ 幼年時代の追憶
 人の話によると、わたしは母にとくに厳しく育てられたようですが、そのような厳しさよりも、幼年時代のわたしに英語でホーム・スイート・ホームを、フランス語でマルセイユを口伝えに教えてくれた母の優しさの方が記憶に残り、その後何10年も経つ現在においても、なお不完全ながらこれらを口ずさむことができます。
 一方、父は小学生のわたしに昆虫採集の仕方を丁寧に教えてくれました。また、この頃たまたま父が学生時代に書いた顕微鏡のスケッチ画を何枚か見る機会があり、妙に感動したことを思い出します。このように、自然科学への憧憬は父より、感性の育みは母より受け継がれていることを今更のように思い出します。

※ 高等学校時代の追憶
 第五高等学校時代の後半、終戦後の1、2年間にあたりますが、わたしは動物学の先生のご指導で、余暇を利用して約70匹の「みみず」の解剖をしたことがあります。生殖器や盲嚢の形態を詳細にしらべ、比較解剖学の片鱗に触れて、妙に気を引かれたことを思い出します。

※ 大学に進学して
 その後九州大学医学部へ進みましたが、一年の夏休み、解剖学教授のご指導で肩甲骨の計測をしました。教授のご意向で84体の計測の結果を小論文(英文)にまとめましたが、戦後の混乱に紛れて未発表に終ってしまいました。 しかし、骨の形が筋肉や関節の運動といかに関係が深いかを如実に知らされたものでした。

※ なぜ皮膚科医になったか
 皮膚科医として既に50年は過ぎましたが、わたしがどうして皮膚科を選んだのか考えてみますと、以上述べてきましたように、父から教わった昆虫採集をきっかけに、高等学校時代には「みみず」の解剖をしたり、大学一年の放課後には肩甲骨の計測をしたりして、自然にものを見る訓練をさせられてきました。

 また、わたしは一時、精神科を選ぼうと考えたこともありましたが、なぜ母校に入局しないで東京に出てきたか、その一つに経済的な原因もありましたので、東京逓信病院でインターンをすることになって色々考えた末、当時の中島病院事務長が大分県佐伯出身であったこともあり、事務長の紹介もあって皮膚科部長、小堀辰治先生の教えを受けることになりました。
 
 そして、入局以来病室の医局で机をならべ、四六時中わたしを細かく指導して下さったオーベンの平出先生は、入院患者さんを極めて丁寧にみられる方で、早朝から色々一緒に検査をしたり、病歴を細かく書くことを教えられたり、患者さんが亡くなると、病理の先生と一緒に解剖に立ち会われるなど、皮膚科医として本当に全身をよく診られる先生に私は感化されました。



 これは数あるゲーテの詩の一つですが、私はこの詩が好きです。(すべてのものの中で最も難しいものはなにか、それは、あなたの前にあるものを見るという、最もたやすいと思われることであるという意味) この詩をはじめて知ったのは、丁度インターンの頃でしたから、あるいはこれが皮膚科医を志すきっかけになったかも知れません。

 また、わたしは特に皮膚と「こころ」の問題を考えていますが、前述のように一時精神科を志望したことと関係があるように思えてなりません。皮膚と神経とは発生学的にも外胚葉という同一のオリジンであることから、切ってもきれない関係にあることを今更のように思う次第です。


§わたしは皮膚病の患者さんを如何に治しているか

1.とくに治りにくい患者さんを診る場合
 皮膚症状並びにその治療経過を細かくみることは勿論ですが、その原因なり、それを治りにくくしている背景を探るため、必要な諸検査を行い、この検査所見を参考にして皮膚症状を診、それに合わせた治療法を選び、治療経過を診ることにしております。

2.アレルギーによる場合の治療方針
 例えば、アトピー性皮膚炎や慢性蕁麻疹の場合など、まず、検査によってアレルギーの有無を確認し、アレルギー陽性であれば更にその程度を把握することにしています。
 ついで治療に及びますが、まず抗アレルギー薬は何が一番適当かを選び、経過に応じて取捨選択し、うまく使いこなすことが大切です。
 また、内服を中止すると必ず再発が見られますので、再発しないよう、またアレルギーの原因が何であっても、いわゆる非特異的減感作療法(非特異的変調療法)を併用することにしています。
 この場合、患者さんには、“この注射を1~2週間に1回繰り返して行うことにより、アレルギーを段々薄くすることができ、これとともに内服を段々止めて行くことができ、中止しても再発しなくなるのです。”と言っています。

3.原因がはっきりしていて、一度治せばまず再発は起こらない場合
 例えば接触皮膚炎(かぶれ)や日光皮膚炎などのひどい場合には、副腎皮質ホルモンを短期間内服投与し、出来るだけ1週間で、せいぜい2週間以内で治すよう努めています。

4.原因ははっきりしているが、刺激が慢性に繰り返されて長期の治療を必要とする場合
例えば、美容師や調理師の手の湿疹で経過が長期に及ぶ場合、アトピーを持っている人が多いようですが、アトピーのある場合はそのほうの治療と並行して、とにかく手の症状を早く治し、デルマシールドという保護クリームを上手に使い、早く湿疹のない状態をつくり続けるよう説得しています。このことに関しましては、このホームページのNo.116 理想的な皮膚保護クリーム・デルマシールド(2005/3/15)をご参照ください。

5.わたしの言う低血圧症候群と、三位一体の治療について
 既にこのホームページのNo.69 敏感肌とその発生メカニズム(2003/9/28)、およびNo.70 皮膚と自律神経(2003/10/5) において述べましたように、このことは皮膚病を治す場合のキーポイントの一つになると思います。
 わたしの経験によりますと、割に痩せ型の女性で、肩凝りや、時にめまいを訴えて疲れやすいと言う人がいますが、多くの場合冷え性で、便秘がちで、ひどい時は生理不順を訴えたりします。そして一般に血圧は低く、私はこれを低血圧症候群、俗に敏感肌の人と呼んでいます。
 これは問診表で大体推察がつきますが、このような人はストレスに弱く、所謂荒れ性で、日光の紫外線に弱い人が多いようです。また、皮膚描記症がしばしば陽性を呈します。
 わたしはこれを自律神経障害(または,自律神経の緊張異状)の皮膚表現と考えて、日常診療に役立てています。

※ 三位一体の治療について
 いま、慢性蕁麻疹の症例5人についてみますと、何れも女性ですがアレルギーの程度は様々で、中にはアレルギーを証明出来ないものもあります。
 そして、これは大なり小なりの低血圧症状を伴い、その中の4例に生理不順や月経前悪化を伴っていることがわかりました。
 また、アトピー性皮膚炎の10例の患者さんについてみますと、いずれも女性でその程度に強弱はありますが、すべてアレルギーを有し、10人ともに低血圧症候群を合併していることがわかりました。そして、その中の3症例は生理の前に悪化するなど、更に内分泌との関係を思わせる症例でした。
 そこで、これらを総合しますと、アレルギー性皮膚疾患、とくに慢性蕁麻疹などの治療に際しましては、アレルギーに対する処置は勿論ですが、場合によっては神経とくに自律神経並びに内分泌の影響を併せて考えた、いわゆる三位一体の概念に則った治療が必要と思われます。
 アレルギーと神経との関係につきましては、このホームページNo.122 皮膚のアレルギー性炎症と神経とのかかわり(2005/6/15)のところで詳しく述べておきましたし、これに関する治療上の得策として、最近開発された塩酸オロパタジン製剤(アレロック)の応用について、おなじくこのホームページのNo.118 かゆみとその対策~新しい見地(2005/4/15)のところで解説しておきました。

 また、内分泌との関連が考えられる場合は、これも同じホームページのNo.114 プレグナンジオールの有用性 (2005/2/15) のところで述べておきましたのでご参照ください。

 そこで、これらを総合しますと、アレルギー性皮膚疾患、とくに慢性蕁麻疹などの治療に際しましては、アレルギーに対する処置は勿論ですが、場合によっては神経とくに自律神経並びに内分泌の影響を併せて考えた、いわゆる三位一体の概念に則った治療が必要と思う次第です。


§皮膚に関する啓蒙の推進

(Ⅰ)皮膚に関する小著発行

 地域の人々が皮膚に関する認識を深め、皮膚が如何に大切な器官であるかを知っていただくために、皮膚ならびに皮膚科のPRを大いにする必要がありますが、昭和61年5月(1986年)、小冊子「皮膚、この大切な器官」の発行についで、下記の表のように次々に小冊子を発行して、その目的を果たしてきました。




(Ⅱ)ホームページ「クリニックレポート」の開設 

 また、一般の方の啓蒙に役立つべく、平成13年(2001年)8月より、ホーム・ページ(http://www.narumi-clinic.jp)を開き、クリニック・レポートとロータリー探究の2本立てで更新を繰り返してきました。
 その意図は、ロータリアンである私が、皮膚科医という職業分類を生かして如何にロータリーと取り組んでいるか、そのサンプルを提供してご参考に供したいと思ったからです。
 皮膚科医50年の経験に新しい知識を加え、時宜に適した話題をテーマに主としてありふれた皮膚病についてわかりやすく解説するとともに、わたしの考え方を皆さんによく知っていただくために、開設以後はじめは毎週1回、2年目から10日に1回、最近は月1~2回の更新で5年になりますが、平成18年(2006年)4月30日で148回に及んでいます。


§新しい治療法の導入  

(Ⅰ)凍結療法:1974年(昭和49年)以降
 液体窒素による普通の「いぼ」や老人性の「いぼ」等の治療

(Ⅱ)レーザー治療
※ 低反応レベルレーザー治療(平成5年2月以降)
 とくに帯状庖疹後の神経痛や、通常の治療でてこずっている痒疹などの『慢性皮膚疾患』『しろなまず』『円形脱毛症』などの治療に応用
※ 高反応レベルレーザー治療(平成12年6月以降)
 とくにアザ、シミ、ホクロの治療に応用、とくに2000年6月から大分県では始めての、九州では3番目のQスィッチ・ルビーレーザーを導入して、太田母斑という特殊なアザの治療を始めました。また、炭酸ガスレーザーも導入してイボやホクロの治療が容易になりました。


§JNスキンケアセンターの併設(1991年8月)と ~メークアップ教室の特徴~
 
 今や時代の要求は治療よりもケアにあります。皮膚病を治すことは勿論大切ですが、健康な肌をつくるためのスキンケア、更に、皮膚を美しく見せるためのテクニックなどが必要になってきました。
 一方、従来、皮膚科医は皮膚病を治すだけで、お化粧や美容は専ら美容師に任せきりでした。 然しこれは間違いで、皮膚科医は皮膚病の治療は勿論のこと、更に進んでスキンケアまで手掛ける必要に迫られてきています。
 つまり、今後は、皮膚に関する医学と美容のドッキングが必要であり、皮膚科学に立脚した美容が大切と思うわけであります。
 このようなことから、当クリニックでは,治療とケアを一貫して行うために、有限会社ジェイ・エヌ スキンケアセンターを併設して,皆様のご期待に沿うことにしました。(平成3年8月20日)
 次に述べますジェイ・エヌ全身シャンプーの販売もこのセンターの事業内容の一つですが、併設以来本センターは毎年2回(夏に入る前と冬に入る前)メーク・アップ教室を開催してきました。 
 治療とケアを直結させたもので、患者さん一人一人の個性を大切にし、それに基づいたメーク・アップをきめ細かに指導しています。
 つまり、医師であるわたしと、シュウ・ウエムラ化粧品のインストラクターとはじめによく打ち合わせをし、皮膚科より見た一人一人の問題点を考慮にいれてメーク・アップの指導をすることにしています。
・とくに、最近は光線過敏性の患者さんが多く、紫外線カットが大切な手段となっていますので、これに基づいたメーク・アップをお教えする場合が多くなりました。
・今後は、お年寄りに「夢を与える」ことをモットーとしていますので、将来はデイサービスに準じた形で、気楽に来ていただくよう考えております。


§これ以上のものはない、理想の全身シャンプーをつくる(2001年1月)

 スキンケアの第一歩である皮膚の清浄、とくに入浴の問題は、温泉地・別府に住む人々にとっては切実な問題であり、常にわたしの脳裏から離れられない問題でした。
過去3回にわたる入浴調査の結果を生かし、何時かは理想的なシャンプーをつくりたいと思っていましたが、2001年1月、東京の化粧品メーカーの協力を得て、オリジナルの全身シャンプー(ジェイ・エヌ全身シャンプー)をつくることが出来ました。

※ ジェイ・エヌ全身シャンプーの特徴:   
①『あか』や『よごれ』は取るが、最後の脂気は残し、しっとりと皮膚を保護する。
② 温泉のような硬水で使っても、普通の石鹸と違い、肌を荒らさない。したがって、アトピーの人も安心して使える。
③ 普通の中性洗剤と違って、泡は分解しやすく、公害を残さない。

 このように優れた洗浄力をもっているシャンプーはまた、使用時にかすかにラベンダーの香りがしてさわやかで、使った後の皮膚もさっぱりして気持ちがよく、使うのが実に楽しいシャンプーです。
 そして、多くの人の使用経験、また私の体験によっても、『これ以上のものはない・理想のシャンプー』と言えます。このシャンプーが患者さんは勿論のこと、別府市民ならびに別府を訪れる観光客の皆さんのお役に立つことができれば幸であり、別府発展の起爆剤になれば、これに過ぎる悦びはありません。


§夜間診療の実施(2002年10月)

・アンケート調査の結果、患者さんの要望に応えて2002年10月21日より開始
・月、火、水、金曜の6時半より8時まで実施しています。



§「皮膚病の上手な治し方」の提示(2004年7月)

・老人クラブで話したことが切っ掛けで、ホームページ『クリニックレポート』の更新100回記念してパンフレットをつくり(2004年7月21日)患者さんに配布。


§私の好きな言葉 

To dream a new dream(新しい夢をみようよ)
 これはロータリーからとった言葉であるが、国際ロータリーの活動を支えるロータリー財団は、年間、会員から米貨7,000万ドル以上の寄付を受け、クラブや地区が実施する国際レベルでの博愛、教育、文化交流などのプログラムを支援するために、毎年6,500万ドルを支給して世界理解と平和の達成を目指している非営利法人であるが、この ロータリー財団の管理委員会が1990年6月の会合で,ポリオ・プラス・プログラムの目的に関し、次のような声明を採択した。
“To dream a new dream”「新しい夢を夢見て・・・ロータリーは相違をつくる」と題するこの声明は、予防接種プログラムが“Polio 2005”(ポリオ撲滅2005年)として初めて発表された1985年以降、ものすごい進展を遂げていることを認めるとともに、世界のポリオ症例数が半減しており、開発途上国におけるワクチン接種率が50%から70%に増加している事実を指摘している。 そしてまた、 ポリオを単に制圧するだけでなく,根絶するという新しい夢をもって引き続き援助を必要とする諸国にワクチンを供給すると述べ,国際ロータリーは2005年に100周年記念とポリオのない世界,即ちpolio-free worldという二重の慶びを味わうことになるとしたのである。
 私は、何年か前、ある展覧会で荒金大琳さんの書「夢を見ようよ あしたのゆめを」を偶然発見し、まるで鬼の首を取ったかのように早速にこれを求め、自宅の壁に掲げて毎日のように見ている。

“Nothing but the best”(これ以上良いものはない)
 これは「メルセデス・ベンツ 栄光の歴史」という本のタイトルからとったもので、車に関する著述で有名なジョン・ハイリッグは、メルセデスについて次のように言っている。 
『100年という時代の中で変化しながら、しかも、どの時代にも常に最高の水準を守り続けてきた。これは自動車業界では他に類をみない。それが、メルセデスを“この比類なき存在”と呼ぶ理由である』と。 
 私はこれを読んで、製造業の場合は「これ以上の良いものはつくれない」という気持ちで、サービス業の場合は「これ以上のサービスはできない」という気持ちで努力すること、医師の場合は「患者さんのために現時点で最善の医療を施す」よう努力することであると信じ、これを仕事に生かしている。    

クリニック情報

[診療時間]
9:00~13:00
15:00~18:00
休診日/木曜日・日曜日・祝日

[住所]
〒874-0943
大分県別府市楠町14-8

[TEL]
0977-23-5841

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