鳴海クリニック <消化器内科・内科・外科・皮膚科>

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皮膚科医として私が歩いて来た道
NO.176 2012/1/19

はじめに 

 皮膚科医になって58年になりますが、2012年1月1日、わたしは86歳を迎えました。
 これを機会に、わたしが歩いて来た道を振り返ってみたいと思います。

※ 東京逓信病院時代:昭和28年(1953)1月~昭和35年(1960)3月
※ 群馬大学時代:昭和35年(1960)4月~昭和38年(1963)9月
※ 東京皮膚科診療所時代:昭和38年(1963)10月~昭和43年(1968)12月
※ 鳴海皮膚科クリニック:昭和43年(1968)12月~
・医療法人社団 鳴海クリニック:平成8年(1996)12月~ 現在に至る。

Ⅰ.わたしの皮膚科医としてのルーツ

 以上、皮膚科医として歩いてきた道について述べましたが、どうしてわたしは皮膚科医になったのか、そのルーツを探ってみたいと思います。

※ 幼年時代の追憶
 人の話によると、わたしは母にとくに厳しく育てられたようですが、そのような厳しさよりも、幼年時代のわたしに英語でホーム・スイート・ホームを、フランス語でマルセイユを口伝えに教えてくれた母の優しさの方が記憶に残り、その後何10年も経つ現在においても、なお不完全ながらこれらを口ずさむことができます。
 一方、父は小学生のわたしに昆虫採集の仕方を丁寧に教えてくれました。また、この頃たまたま父が学生時代に書いた顕微鏡のスケッチ画を何枚か見る機会があり、妙に感動したことを思い出します。このように、自然科学への憧憬は父より、感性の育みは母より受け継がれていることを今更のように思い出します。

※ 高等学校時代の追憶
 第五高等学校時代の後半、終戦後の1、2年間にあたりますが、わたしは動物学の先生のご指導で、余暇を利用して約70匹の「みみず」の解剖をしたことがあります。生殖器や盲嚢の形態を詳細にしらべ、比較解剖学の片鱗に触れて、妙に気を引かれたことを思い出します。



※ 大学に進学して
 その後九州大学医学部へ進みましたが、一年の夏休み、解剖学教授のご指導で肩甲骨の計測をしました。教授のご意向で84体の計測の結果を小論文(英文)にまとめましたが、戦後の混乱に紛れて未発表に終ってしまいました。  しかし、骨の形が筋肉や関節の運動といかに関係が深いかを如実に知らされたものでした。




※ なぜ皮膚科医になったか
 皮膚科医として既に50年は過ぎましたが、わたしがどうして皮膚科を選んだのか考えてみますと、以上述べてきましたように、父から教わった昆虫採集をきっかけに、高等学校時代には「みみず」の解剖をしたり、大学一年の放課後には肩甲骨の計測をしたりして、自然にものを見る訓練をさせられてきました。
 また、わたしは一時、精神科を選ぼうと考えたこともありましたが、なぜ母校に入局しないで東京に出てきたか、その一つに経済的な原因がありました。
東京逓信病院でインターンをすることになって色々考えた末、当時の中島病院事務長が大分県佐伯出身であったこともあり、事務長の紹介もあって皮膚科部長、小堀辰治先生の教えを受けることになりました。
 そして、入局以来病室の医局で机をならべ、四六時中わたしを細かく指導して下さった副部長の平出先生は、入院患者を極めて丁寧にみられる方で、早朝から色々一緒に検査をしたり、病歴を細かく書くことを教えられたり、患者さんが亡くなると、病理の先生と一緒に解剖に立ち会われるなど、皮膚科医として本当に全身をよく診られる先生に私は感化されました。

Was ist das Schwerste von Allem?
  Was dir das Leichteste duenket.
Mit den Augen zu sehen,
  Was vor den Augen dir liegt.

 これは数あるゲーテの詩の一つですが、わたしはこの詩が好きです。(すべてのものの中で最も難しいものはなにか、それは、あなたの前にあるものを見るという、最もたやすいと思われることであるという意味) この詩をはじめて知ったのは、丁度インターンの頃でしたから、あるいはこれが皮膚科医を志すきっかけになったかも知れません。
 また、わたしは特に皮膚と「こころ」の問題を考えていますが、前述のように一時精神科を志望したことと関係があるように思えてなりません。皮膚と神経とは発生学的にも外胚葉という同一のオリジンであることから、切ってもきれない関係にあることを今更のように思う次第です。


Ⅱ.皮膚科医として、わたしが歩いて来た道

※ 東京逓信病院時代:昭和28年(1953)1月~昭和35年(1960)3月
 昭和26年(1951年)九大卒業後、東京逓信病院にてインターン終了、そのまま同病院皮膚科に勤務することになり、当時新進気鋭な恩師小堀辰治先生のご指導を受けることになりました。
 入局と同時に当時としては日本でいち早く副腎皮質ホルモン療法の研究に着手した共同研究者の一員となり、一方、アメリカで発展した新しい軟膏療法の手ほどきを受けました。そして、「副腎皮質ホルモンの円形脱毛症に対する治療効果、特にその奏効機序について」を主論文に審査をうけ、1959年 東京大学より学位を授与されたことは、わたしの生涯で忘れることのできない幸せなことの一つでした。


※ 群馬大学時代:昭和35年(1960)4月 ~ 昭和38年(1963)9月
 ついで1960年、群馬大学医学部助教授として赴任、山碕教授より記載皮膚科学の原点に触れたドイツ流の厳しいご指導を受けました。この北関東における研究生活3年間の様々な体験と、前任地である東京逓信病院での8年間のいわばアメリカ流の自由な研究体験がミックスされて、今日の自分があるということを、今更ながら感謝しています。


※ 東京皮膚科診療所時代:昭和38年(1963)10月~ 昭和43年(1968)12月
 昭和38年(1963年)9月、群馬大学を辞した後、同年10月より昭和43年(1968年)12月までの東京新橋における5年間の開業生活は、全国理美容ネットワークにのった特殊な体験でした。  始めは日本毛髪研究会本部付設の東京皮膚科診療所として発足したが、後に独立して経営。

「研究実績」
1.円形脱毛症に於ける2,3の問題
 日本皮膚科学会東京地方会第431回例会(昭和40年1月)
 皮膚科の臨床: 7:554 (昭40,8)
2.最近における機械性脱毛症の種々相
 日本皮膚科学会東京地方会第445回例会(昭和42年5月)

〔講演関係〕
1.美しい肌をつくる
 日本毛髪研究会第3回定例学会にて講演(昭和38年10月)
2.皮膚表面の生理と皮膚生理に立脚した美容手技
 キヨシ会10月特別研究会にて講演(昭和38年10月)
3.美容技術による皮膚及び毛髪障害とその処置
 静岡市美容医学研究会にて講演(昭和39年2月)
4.これからの美容
 日本毛髪研究会第4回定例学会にて講演(昭和39年5月)
5.美容と健康
 豊島区教育委員会・千早中学校PTA社会学級にて講演(昭和43年9月) 

〔著書〕
 理容皮膚科学 :全国理容学園中央高等理容学校講師として( 昭和38年12月1日)

〔雑誌・関係新聞〕(昭和39年、40年、41年)
1.主婦と生活:夏に多くなる皮膚病・チャームする肌を・あなたの肌をいつまでもしっとりと
2.装 苑:ドクターメモ:「たこ」と「うおのめ」・「あぶら足」・「靴ずれ」
3.すがた:皮膚の表現作用を大切に
4.読売新聞:夏の海岸と美容
5.毎日新聞:毛髪、その生理と手当
6.婦人民主新聞: 婦民相談・首すじの「いぼ」・春は顔があれる・若い人の抜け毛「はげ」
7.その他の地方新聞
・夏に多くなる皮膚病・夏の海岸と美容・汗の科学・汗かきの生理学
・皮膚病の治療心得5カ条
① しろうと療法は禁物  ② 軽いうちに早めに専門医に
③ 自宅療法を怠らない  ④ 日常生活を治療態勢に
⑤ 治癒の判断を誤らぬこと


※ 鳴海皮膚科クリニック:昭和43年(1968)12月~
 その後、父の度重なる脳梗塞の発作のために遂に故郷別府に帰って開業することになりました[診療所開設は昭和43年(1968年)12月24日、翌44年(1969年1月13日より診療開始)。
・ 法人社団 鳴海クリニック:平成8年(1996)12月~ 現在に至る。
 開業以来、地域医療の第一線で多くの患者さんに接し、皮膚に関する啓蒙と、幅広い皮膚科医療で地域社会に密着することを夢見てこれまでやってきましたが、この間、別府市医師会理事を3期6年、大分県医師会常任理事を3期6年、別府市医師会監事を2期4年務め、わたしとしてはまたとない経験を重ねることができました。
 また、皮膚科開業医は如何にあるべきかについて、学会シンポジウムその他で意見を述べてきましたが、とくに皮膚科の専門性を生かして包括医療をきめ細かく行ない、地域に密着することを大切にして来ました。
 ※ 平成8年(1996)6月:日本皮膚科学会功労会員
 ※ 平成22年5月30日:日本臨床皮膚科医会特別会員

Ⅲ.別府に帰省して開業後、わたしは如何に皮膚科診療を展開してきたか

 皮膚科医として58年、郷里別府に帰って開業43年になります。またロータリー・クラブに入会して40年が過ぎましたが、この40年にわたるロータリーの体験は、更に皮膚科医としての職業奉仕に磨きをかけながら86歳の現在に及んでいます。 


※ とくに別府に帰ってからの皮膚科診療
 ところで、久し振りに郷里・別府に帰り、徳川中期以降湧き出ている由緒ある自宅の温泉に入るようになると、温泉と皮膚、スキンケアの第一歩である皮膚の清浄、とくに入浴の問題は、温泉地・別府に住み人にとっては切実な問題であり、常にわたしの脳裏から離れられない問題でした。
 廻船問屋から温泉宿にかわった先代が、医者、それも皮膚科医になったわたしに『温泉と皮膚』というテーマを授けて呉れたものと思えてなりません。


※ 温泉と皮膚に関する開業後の実績
 ・1969年1月 : 別府に帰省して診療開始
 ・1972年   : 第1回入浴調査
 ・1976年   : 第2回入浴調査
 ・1990年   : 第3回入浴調査
 ・入浴調査のまとめ
 ・2001年1月 : 「JN全身シャンプー」をつくる
 ・2001年7月 : 小著「温泉と皮膚」発行
1.学会発表
・温泉と皮膚
 日本皮膚科学会第30回大分地方会(昭和47年10月1日)
・入浴調査について
 日本皮膚科学会第50回大分地方会(平成3年6月30日)

※ 皮膚科診療に対するわたしの考え方 
 皮膚科医は単に皮膚のみならず、場合によっては皮膚を通して人間全体を考え、更には、まわりの環境をも念頭におく必要があることを考えてきました。
とくにわたしたち開業医は、地域医療の第一線にあって多くのありふれた皮膚病患者に接するわけですから、これと積極的に取り組み、上手に治せる医師でなくてはなりません。 
 そのためには、皮膚症状並びにその治療経過を細かくみることは勿論ですが、その原因なり、それを治りにくくしている背景を探るため、必要な諸検査を行い、この検査所見を参考にして皮膚症状を診、それに合わせた治療法を選び、治療経過を細かく診なければなりません。
 とくにアレルギー性皮膚疾患の場合にあっては、アレルギーに対する処置は勿論ですが、場合によっては神経、とくに自律神経ならびに内分泌の影響をも考えた、いわゆる三位一体の概念に基づいた治療が必要と思う次第です。
 
 とくにわたしが自信をもってお応えできる3つの治療
1.アトピー性皮膚炎を治す
2.「にきび」を上手に治すには
3.レーザー治療の魅力


※ 開業医としての学術研究活動
 以上のような考えで日常診療を行っていますと、更に新しいことが分かり、その都度これをまとめて発表することにしていますが、86歳になる現在、出来るだけ年に1回、これを実行することにしています。

1.学会発表(昭和45年7月から平成23年6月まで → 31回)
・日本皮膚科学会大分地方会;21回
・日本皮膚科学会東京地方会;1回(昭和45年7月)
・日本皮膚科学会・学術大会;2回(昭和54年4月、昭和58年4月)
・日本臨床皮膚科学会;2回(昭和62年11月、平成元年5月)
・大分県医学会;2回
・別府市医師会学術研究会;3回

2.専門誌への掲載
① 円形脱毛症における2,3の問題
 皮膚科の臨床:7巻、8号、554~560頁、昭和40年
② 円形脱毛症  
 今日の治療指針:442~443頁、1971年(医学書院)
③ 絆創膏皮膚炎の一考察
 臨床皮膚科:24巻、12号、1185~1188頁、昭和45年
④ にきび
 皮膚病診療:6巻、5号、427~430頁、昭和59年
⑤ Office における洗髪指導
 皮膚病診療:8巻、5号、493~499頁、昭和61年
⑥ 尋常性乾癬治療のfirst choice
 皮膚病診療:9巻、10号、959~966頁、昭和62年
⑦ どんな病気に光線療法を行うか-私はこうしている-
 皮膚病診療:17巻、9号、901~911頁、平成7年

※ 診療内容の充実に向かって

1. 新しい治療法の導入  
* 凍結療法:1974年(昭和49年)以降
 液体窒素による普通の「いぼ」や老人性の「いぼ」等の治療
*レーザー治療
・低反応レベルレーザー治療:1993年(平成5年)2月以降
とくに帯状庖疹後の神経痛や、通常の治療でてこずっている痒疹などの『慢性皮膚疾患』『しろなまず』『円形脱毛症』などの治療に応用
・高反応レベルレーザー治療:2000年(平成12年)6月以降
とくにアザ、シミ、ホクロの治療に応用、とくに2000年6月から大分県では始めての、九州では3番目のQスィッチ・ルビーレーザーを導入して、太田母斑という特殊なアザの治療を始めました。また、炭酸ガスレーザーも導入してイボやホクロの治療が容易になりました。

2. JNスキンケアセンターの併設(1991年8月)と メーク・アップ教室の開催
・皮膚に関する医学と美容のドッキングが必要であり、皮膚科学に立脚した美容が大切なことから,治療とケアを一貫して行うためにジェイ・エヌ スキンケアセンターを併設しました。(平成3年8月20日)
・年2回(夏に入る前と冬にいる前)の行事であるメーク・アップ教室は、医師であるわたしと、シュウ・ウエムラ化粧品のインストラクターとはじめによく打ち合わせをし、皮膚科より見た一人一人の問題点を考慮にいれてメーク・アップの指導を行いました。
・とくに最近は光線過敏症の患者さんが多く、紫外線カットが大切な手段となっていますので、これに基づいたメーク・アップの指導が必要になってきました。
・今後は、お年寄りに「夢を与える」ことをモットーにしていますので、将来はデイサービスに準じた形で、気楽に来ていただくようなことを考えております。

3.新世紀に向けて理想の全身シャンプーをつくる(2001年1月)
 スキンケアの第一歩である皮膚の清浄、とくに入浴の問題は、温泉地・別府に住む人々にとっては切実な問題であり、常にわたしの脳裏から離れられない問題でした。
 過去3回にわたる入浴調査の結果を生かし、何時かは理想的なシャンプーをつくりたいと思っていましたが、2001年1月、東京の化粧品メーカーの協力を得て、オリジナルの全身シャンプー(ジェイ・エヌ全身シャンプー)をつくることが出来ました。
 ◎ ジェイ・エヌ全身シャンプーの特徴
・『あか』や『よごれ』は取るが、最後の脂気は残し、しっとりと皮膚を保護する。
・温泉のような硬水で使っても、普通の石鹸と違い、肌を荒らさない。したがって、アトピーの人も安心して使える。 
・普通の中性洗剤と違って、泡は分解しやすく、公害を残さない。

4.夜間診療の実施(2002年10月)
・アンケート調査の結果、患者さんの要望に応えて2002年10月21日より開始しました。
・月、火、水、金曜の6時半より8時まで実施していましたが、2009年9月1日より80歳を過ぎての体調を考え、夜は7時までとしました。

※ 皮膚に関する健康教育活動の展開
・医師会関係
 皮膚科開業医の新しい生き方を求めて(別府市医師会報;18巻・3号・昭62)
・ロータリー・クラブ
 地域社会における皮膚科医の役割(昭和45年10月23日)
・テレビ関係
NHK健康教室・2回(平成2年1月31日、5月20日)
TOS皮膚の健康・日焼けにご用心(平成2年6月2日)
・新聞関係
 入浴調査:大分合同新聞、今日新聞(平成2年10月)
 皮膚について思う:今日新聞(平成7年1月1日)
・入浴調査:
 別府市地域保健委員会(昭和44年2月~4月、昭和51年10月~11月)
・市民健康講座
 冬と皮膚病(昭和61年1月18日)
 夏と皮膚病(平成2年7月21日)
 皮膚病あれこれ(平成7年7月7日)

※ 皮膚に関する啓蒙の推進
 
 Ⅰ皮膚に関する小著発行
1.皮膚、この大切な器官(初 版)  1986年5月
            (第2版)   1996年3月
2.お化粧と皮膚           1988年10月
3.皮膚と「こころ」         1993年8月 
4.スキンケアのために        1999年1月
5.「みずむし」を治す        1999年7月
6.温泉と皮膚            2001年7月
7.皮膚科診療のために        2003年1月
8.皮膚を心底きれいにするには    2006年1月
9.アトピー性皮膚炎を治す      2007年7月
10.「にきび」を上手に治すには    2007年7月
11.レーザー治療の魅力        2007年7月
             
 Ⅱホームページ「クリニックレポート」の開設(2001年8月) 
・皮膚科医50年の経験に新しい知識を加え、時宜に適した話題をテーマに、主としてありふれた皮膚病について分かりやすく解説するとともに、
・わたしの考え方を皆さんによく知っていただくために、2001年8月1日開設。(http://www.narumi-clinic.jp)
・はじめは週1回、2年目より10日に1回の更新で、最近は時々更新していますが、2010年(平成22年)1月で171回に及んでいます。

※ 現在のわたしの心境 
~ 現時点で親、子、孫 三代にわたり医療に従事していることに感謝したい~
(わたし)
 淳 郎 : 大正15年(1926)1月1日生・・・85歳
      鳴海クリニック院長
(長男) 
 篤 志 : 昭和30年(1955)6月2日生・・・56歳
      別府医療センター:救急部長 ・大分大学医学部:臨床教授
(孫)
 宏 子 : 昭和61年(1986)1月7日生・・・26歳
      山口大学医学部を卒業後、国家試験に合格、小児科を目指して
      現在、山口大学医学部付属病院 研修医 
(次男)
 賢 二 : 昭和33年(1958)9月14日 生・・・53歳
      順天堂大学医学部消化管外科学: 先任准教授
      順天堂東京江東高齢者医療センター : 外科科長

 ~ 2年先は88歳の記念すべき年 ~ 
   ・皮膚科医になって60年
   ・別府中央ロータリー・クラブ創立25周年

おわりに

 以上、わたしが皮膚科医として歩いて来た道について述べましたが、最後にこれを纏めますと次のようになります。

 昭和26年(1951年)九大卒業後東京逓信病院にてインターン終了、そのまま同病院皮膚科に勤務することになり、当時新進気鋭な恩師小堀辰治先生のご指導を受けることになりました。
 入局と同時に当時としては日本でいち早く副腎皮質ホルモン療法の研究に着手した共同研究者の一員となり、一方、アメリカで発展した新しい軟膏療法の手ほどきを受けました。そして、「副腎皮質ホルモンの円形脱毛症に対する治療効果、特にその奏効機序について」を主論文に審査をうけ、1959年 東京大学より学位を授与されたことは、わたしの生涯で忘れることのできない幸せなことの一つでした。

 ついで1960年、群馬大学医学部助教授として赴任、山碕教授より記載皮膚科学の原点に触れたドイツ流の厳しいご指導を受けました。この北関東における研究生活3年間の様々な体験と、前任地である東京逓信病院での8年間のいわばアメリカ流の自由な研究体験がミックスされて、今日の自分があるということを、今更ながら感謝しています。

 昭和38年(1963年)9月、群馬大学を辞した後、同年10月より昭和43年(1968年)12月までの東京新橋における5年間の開業生活は、全国理美容ネットワークにのった特殊な体験でしたが、以上、東京逓信病院についで群馬大学、更に東京新橋における診療体験が生かされて、あと2年で皮膚科医として60年を迎える現在のわたしがあるわけであります。

クリニック情報

[診療時間]
9:00~13:00
15:00~18:00
休診日/木曜日・日曜日・祝日

[住所]
〒874-0943
大分県別府市楠町14-8

[TEL]
0977-23-5841

初診ネット受付

インターネットから初診に関する事前受付のお申し込みができます。

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