皮膚科医として、私が歩いて来た道(その供
NO.520 2014/4/30

前回は「わたしの皮膚科医としてのルーツ」について述べましたが、今回はその後の歩みについて述べてみたいと思います。

その後の皮膚科医としての歩み

※ 東京逓信病院時代:昭和28年(1953)1月〜昭和35年(1960)3月
 
 昭和26年(1951年)九大卒業後、東京逓信病院にてインターン終了、そのまま同病院皮膚科に勤務することになり、当時新進気鋭な恩師小堀辰治先生のご指導を受けることになりました。
 入局と同時に当時としては日本でいち早く副腎皮質ホルモン療法の研究に着手した共同研究者の一員となり、一方、アメリカで発展した新しい軟膏療法の手ほどきを受けました。そして、「副腎皮質ホルモンの円形脱毛症に対する治療効果、特にその奏効機序について」を主論文に審査をうけ、1959年 東京大学より学位を授与されたことは、わたしの生涯で忘れることのできない幸せなことの一つでした。

※ 群馬大学時代:昭和35年(1960)4月 〜 昭和38年(1963)9月
 
 ついで1960年、群馬大学医学部助教授として赴任、山碕教授より記載皮膚科学の原点に触れたドイツ流の厳しいご指導を受けました。この北関東における研究生活3年間の様々な体験と、前任地である東京逓信病院での8年間のいわばアメリカ流の自由な研究体験がミックスされて、今日の自分があるということを、今更ながら感謝しています。

※ 東京皮膚科診療所時代:昭和38年(1963)10月〜 昭和43年(1968)12月
 
 昭和38年(1963年)9月、群馬大学を辞した後、同年10月より昭和43年(1968年)12月までの東京新橋における5年間の開業生活は、全国理美容ネットワークにのった特殊な体験でした。  始めは日本毛髪研究会本部付設の東京皮膚科診療所として発足したが、後に独立して経営。
「研究実績」
1.円形脱毛症に於ける2,3の問題
 日本皮膚科学会東京地方会第431回例会(昭和40年1月)
  ※ 皮膚科の臨床: 7:554 (昭40,8)
2.最近における機械性脱毛症の種々相
 日本皮膚科学会東京地方会第445回例会(昭和42年5月)
〔講演関係〕
1.美しい肌をつくる
 日本毛髪研究会第3回定例学会にて講演(昭和38年10月)
2.皮膚表面の生理と皮膚生理に立脚した美容手技
 キヨシ会10月特別研究会にて講演(昭和38年10月)
3.美容技術による皮膚及び毛髪障害とその処置
 静岡市美容医学研究会にて講演(昭和39年2月)
4.これからの美容
 日本毛髪研究会第4回定例学会にて講演(昭和39年5月)
5.美容と健康
 豊島区教育委員会・千早中学校PTA社会学級にて講演(昭和43年9月) 
〔著書〕
理容皮膚科学:全国理容学園中央高等理容学校講師として(昭和38年12月1日)
〔雑誌・関係新聞〕
(昭和39年、40年、41年)
1.主婦と生活:夏に多くなる皮膚病・チャームする肌を・あなたの肌をいつまでもしっとりと
2.装 苑:ドクターメモ:「たこ」と「うおのめ」・「あぶら足」・「靴ずれ」
3.すがた:皮膚の表現作用を大切に
4.読売新聞:夏の海岸と美容
5.毎日新聞:毛髪、その生理と手当
6.婦人民主新聞: 婦民相談・首すじの「いぼ」・春は顔があれる・若い人の抜け毛「はげ」
7.その他の地方新聞
・夏に多くなる皮膚病・夏の海岸と美容・汗の科学・汗かきの生理学
・皮膚病の治療心得5カ条
  ,靴蹐Δ販屠,篭慂   軽いうちに早めに専門医に
  自宅療法を怠らない   日常生活を治療態勢に
 ァーLの判断を誤らぬこと

※ 鳴海皮膚科クリニック:昭和43年(1968)12月〜
 
 その後、父の度重なる脳梗塞の発作のために遂に故郷別府に帰って開業することになりました[診療所開設は昭和43年(1968年)12月24日、翌44年(1969年1月13日より診療開始)。
・ 法人社団 鳴海クリニック:平成8年(1996)12月〜 現在に至る。
 開業以来、地域医療の第一線で多くの患者さんに接し、皮膚に関する啓蒙と、幅広い皮膚科医療で地域社会に密着することを夢見てこれまでやってきましたが、この間、別府市医師会理事を3期6年、大分県医師会常任理事を3期6年、別府市医師会監事を2期4年務め、わたしとしてはまたとない経験を重ねることができました。
 また、皮膚科開業医は如何にあるべきかについて、学会シンポジウムその他で意見を述べてきましたが、とくに皮膚科の専門性を生かして包括医療をきめ細かく行ない、地域に密着することを大切にして来ました。
 ※ 平成8年(1996)6月:日本皮膚科学会功労会員
 ※ 平成22年5月30日:日本臨床皮膚科医会特別会員

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