卆壽を迎えた現在の心境と将来への希望
NO.544 2016/1/18

今年の元旦で卆壽を迎えましたが、皮膚科医になって62年、別府に帰って45年が過ぎました。
この記念すべき年のはじめにあたり、皮膚科医として私がこれまで歩いてきた道をふり返り、いのちの続くかぎり皮膚科診療にわたしの会得したロータリー哲学を生かして行きたいと思う次第です。

皮膚科医として私が歩いてきた道 

・東京逓信病院時代:昭和28年(1953)1月〜昭和35年(1960)3月
・群馬大学時代:昭和35年(1960)4月〜昭和38年(1963)9月
・東京皮膚科診療所:昭和38年(1963)10月〜昭和43年(1968)12月

その後 別府に帰る。
・鳴海皮膚科クリニック:昭和43年(1968)12月〜
・皮膚科・外科・形成外科 鳴海クリニック:平成5年(1993)8月〜
・医療法人社団 鳴海クリニック:平成8年(1996)12月〜 現在に至る。

医師会役員として
・別府市医師会常任理事として :1974年(昭和49)4月1日より3期6年
・大分県医師会常任理事として :1980年(昭和55)4月1日より3期6年
・別府市医師会監事として :1986年(昭和61)4月1日より2期4年

・日本皮膚科学会功労会員 :1996年(平成 8年)6月 
・日本臨床皮膚科医会特別会員 :2010年(平成22年)5月

九大卒業後東京逓信病院にてインターン終了、そのまま同病院皮膚科に勤務することになり、当時新進気鋭な恩師小堀辰治先生のご指導を受けました。
入局と同時に当時としては日本でいち早く副腎皮質ホルモン療法の研究に着手した共同研究者の一員となり、一方、アメリカで発展した新しい軟膏療法の手ほどきを受けました。そして、「副腎皮質ホルモンの円形脱毛症に対する治療効果、特にその奏効機序について」を主論文として審査をうけ、東京大学より学位を授与されたことは、私の生涯で幸せなことの一つでした。
ついで群馬大学医学部助教授として赴任、山碕教授より記載皮膚科学の原点に触れたドイツ流の厳しいご指導を受けました。この北関東における研究生活3年間の様々な体験と、前任地である東京逓信病院での8年間のいわばアメリカ流の自由な研究体験がミックスされて、今日の自分があるということに、今更ながら感謝しています。
群馬大学を辞した後、東京新橋での5年間の開業生活は、全国理美容ネットワークに乗った特殊な体験でしたが、その後別府に帰ってからの開業にかなりのプラスになりました。

父の度重なる脳梗塞の発作のために遂に故郷別府に帰り、開業することになったわけです。
 開業以来、地域医療の第一線で多くの患者さんに接し、皮膚に関する啓蒙と、幅広い皮膚科医療で地域社会に密着することを夢見てこれまでやってきましたが、この間、別府市医師会理事を3期6年、大分県医師会常任理事を3期6年、別府市医師会監事を2期4年務め、私としてはまたとない経験を重ねることができました。
また、皮膚科開業医は如何にあるべきか ということについて、学会シンポジウムその他で意見を述べてきましたが、とくに皮膚科の専門性を生かして包括医療をきめ細かく行ない、地域に密着することを大切にしてきました。
 

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