ロータリーのフェローシップについて
NO.549 2016/12/6


ロータリーの綱領の第4項に、「奉仕の理想に結ばれた、事業と専門職務に携わる人の世界的親交によって、国際間の理解と親善と平和を推進すること。」とありますが、この世界的親交はworld fellowship の訳であります。
“The advancement of international understanding, goodwill, and peace through a world fellowship of business and professional persons united in the ideal of service.”

この場合、フェローシップは親交と訳されていますが、ロータリー用語集にみられるフェローシップの訳についてみますと、次のようになっています。

Fellowship Through Service ・・・奉仕を通じての親睦
Friendship Development and Fellowship ・・・友情の促進と親睦 Rotary   Fellowship・・・ロータリー親睦活動
手続要覧には Fellowship・・・親睦 と訳されています。

さて、fellowship とは何かということですが、以上のように、日本のロータリーはこれを「親睦」と訳しています。しかし、本来の意味は仲間であること、利害・行動などを共にすること、要するに心の通い合う仲間ということで、単に仲良くするだけの意味ではないのです。

ポール・ハリス : ロータリーへの私の道

ポール・ハリスはその著『ロータリーへの私の道』の中で、次のように言っています。≪少年時代にあの谷間で聞くたであり、びにうれしかった「おはよう、ポール」という挨拶が、今では仲間のらの挨拶相手が金持ちであろうと、貧乏であろうと、若い人であろうと老人であろうロータリアンかと、私の耳に気持ちよい音楽として響き続けるのです。

シカゴという大都会で集った、この小さなグループの会員にとって、ロータリーは砂漠のオアシスというものでした。 彼らの集会は、ほかのクラブの集会とは違って、もっと親密であり、はるかに友情がこもっていました。面倒な、意味のない制約は振り捨てられ、もったいぶったとりつくろいは入口で断られ、会員はみんな少年に戻るわけです。私にとってクラブの集会に出席することは、あの谷間の家に帰るのと同じことだったのです。≫
つまり、ロータリー・クラブの発生のもとというのは、仲間を求めて呼び合う心です。
従って、フェローシップは友人関係においてフェレンドシップより更に強い絆で結ばれた仲間同士というもので、戦友のように仲間意識の強いものです。

フェローシップこそロータリー

森パストガバナーは、フェローシップこそロータリーと言っており,人材の森で森林浴をするようなもので、ロータリーの森に分け入ると、それぞれのお人柄の香りが発散されており、その相乗効果の中で人格が知らず知らずの間に陶冶されると言っております。
そして、ゴルフや観劇や宴会などで親睦を図ることはフェローシップのほんの入口に過ぎず、深い心の絆で結ばれ、認め合い許しあって一つのことを成就させたとき、戦友のような生涯忘れられない友情が育まれます。そういうフェローシップこそロータリーの核心であるとしています。(森 三郎著:『私のロータリー』より)

以上のことから、フェローシップを親睦と訳したことには、あまり感心できません。
フェローシップを「親睦」と訳したことにより、旅行や宴会をはじめ、いくつかの行事を企画するという狭い概念になってしまいましたが、本来のフェローシップはロータリー活動全般にわたる、むしろその根幹に位置する重要なものであります。

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