2014年の新春にあたって
NO.512 2014/1/1

2014年の新春にあたり、皆さまの一層のご健勝をお祈り致します。
 わたしは1803年、初代・菓子屋安兵衛に始まる鳴海家の6代目として、大正15年(1926年)1月1日この別府に生まれました。
 この正月は88歳の誕生日でもあり、皮膚科医として丁度60年を迎えることになります。そこでこれを機会に、どうしてわたしは皮膚科の医者になったのか 、そのルーツを探ってみたいと思います。

5代目の母のことについて

 成績優秀だった母は回船問屋の後を継がずに東京菊坂の女子美術学校英文科に進みましたが、母ユキエが亡くなったために中退せざるを得なくなり、郷里別府に帰ってきました。そして、孤独感に堪えられず、良寛に傾倒し短歌を詠むようになり、いろいろ歌集を残しています。

父のことについて

 このような母は農学校の教員であった父と養子縁組みをすることになり、当時農学校のあった三重町に移住することになりました。それで わたしは幼少年時代を大分県三重町で過ごすことになりました。この間 父は小学生のわたしに昆虫採集の仕方を丁寧に教えてくれましたし、この頃たまたま父が学生時代に書いた顕微鏡のスケッチ画を何枚か見る機会があり、妙に感動したことを思い出します。

皮膚科医としてのルーツ 

 なお この頃、わたしは母にとくに厳しく育てられたようですが、そのような厳しさよりも、幼年時代のわたしに英語でホーム・スイートホームを、フランス語でマルセイユを口伝えに教えてくれた母の優しさの方が記憶に残り、その後何十年も経つ現在においても、なお不完全ながらこれらを口ずさむことができます。

 このように、自然科学への憧憬は父より、感性の育みは母より受け継がれていることを今更のように思い出します。
 
 さて 皮膚科医として既に60年になりますが、わたしがどうして皮膚科を選んだのか考えてみますと、以上述べましたように、父から教わった昆虫採集をきっかけに、高等学校時代には「みみず」の解剖をしたり、大学一年の放課後には肩甲骨の計測をしたりして、自然にものを見る訓練をさせられてきたことがわたしの皮膚科医としてのルーツであると思われてなりません。

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